これまでのサッカー経験について①
代表の紺野です。
私は小学2年生から兄の影響でサッカーを始めました。地元の少年団に入りました。運動神経は良いほうでしたので、チーム内では目立つ選手でした。チームは弱小で試合でボロ負けが当たり前でした。ただ楽しくサッカーをやっていたのを今も覚えています。5年生になると市内の選抜チームの選考会で他チームの選手とトレーニングする機会が増えました。とても緊張感があり、刺激的な経験でありました。市内東西南北で4チームを編成し、選考期間は1年近くに及びました。当時は選抜に選ばれたい気持ちが強く、懸命にトレーニングに取り組み、自身の力も伸びていたと思います。競争意識が芽生え、チームワークよりも個人で頑張る気持ちが強かった。選考会は15名まで絞られます。競争意識から毎日気を抜けないことでピリピリした日常を送っていました。充実感はとてもありました。選考会ではチーム内では上位の実力だったので、少し天狗になっていた部分はありました。徐々に人数が絞られていき、30名になった時に初めて挫折を味わいました。30名で2チームに編成されるチームでトップチームに入れず、セカンドチームに回されたのです。このままでは15名に残れないと思いました。この時期は本当に苦しかったです。当時は選手として自分の武器が何なのか分かりませんでした。平均的な力の選手でした。ポジションはセンターミットフィルダーです。ある試合で左サイドバックをやることになり、相手エースを1対1で完封したことがありました。それが自信となり、「自分の武器はこれだ」と認識したのを覚えています。それからは左サイドバックでトップチームに起用されるようになり、最終の15名に残る事が出来ました。この時期に「挫折」と「小さな成功」を経験出来た事は大きな財産になったと思います。次回は市内選抜の活動について書きます。
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